幕末、人々の関心は奇怪、凄惨、エロティックといったものに向かいました。縁日の見世物で人気を博した化物細工等の作り物やグロテスクな生人形(いきにんぎょう)、情念を内にたたえた人物画、説話などにもとづき凄惨な一場面を極彩色で描き出した錦絵が注目を集めました。人々はこうした表現を目にすることで、激動の時代を生きる不安を解消し、作品が放つ強烈なエネルギーから生きるための力さえ得ていたと言えましょう。
明治以降、西洋からの影響はありとあらゆる方面に及び、個性、自由の尊重という新しい思潮により人々の価値観も大いに変化しました。人間の心の奥底に潜んだ欲望は赤裸々になり、美しいものや醜いものとしてさまざまな形を借りて表されるようになりました。それを見る側もまた、自分の心の中にある欲求や願望をそこに重ね合わせました。ここではいくつかのキーワードを手がかりに、こうした表現に目を向けてみます。
恋愛の喜びを率直に謳い上げることは、近代という新しい時代ならではの現象と言えるでしょう。恋に限らず、生への渇望、死に対する怖れといった、自分自身の体験にもとづく個人的な感情をはばかることなく表に出すようになったのもこの時代のことです。ですが美術家達はこうした心の内を赤裸々に語ることはありません。絡みつくようにうねる草花、登場人物の意味深げな身振りや視線… 。そこには何が込められているでしょうか。
現実からはるか彼方、神話やいにしえの世界を描き出した絵画があります。明治という新しい時代に新しい表現を求め、何をどう描くか、多くの画家が模索しました。フィクションの世界に自分自身の空想や理想を込めたこれらの作品は、個性や自由を重んじる時代を先取りする存在だったと言ってよいでしょう。
明治中頃から出現した耽美主義、幻想主義文学、そして古くから伝わる説話には、登場人物が人里離れた場所で不思議な体験をする話、人魚のような空想の生き物が登場したり、普通では持ちえない能力を持つ者が人を惑わせたりする話等があります。物語の挿絵に描かれるこうした存在は、ただならぬ妖艶な雰囲気を伴い描き出されています。
製品の広告に大衆的な美人が多く使われ、絵画でもそのような「美人画」が目につくようになった明治後半以降、この動きに対抗して単なる美女とは異なる表現が新たに生み出されました。血の通った、作品によってはグロテスクな生々しさをも感じさせる女性の描写には、日々の生活による疲弊、社会的地位の低さに対する悲哀といった現実に眼を向けたものもある一方、生命の源としての聖性のような、女性に対する理想を込めたものも確認できます。
古くから親しまれてきた説話、歌舞伎や浄瑠璃などの古典芸能のワンシーンを絵画化したものから、同時代に生まれた小説の挿絵まで。物語の筋が大転換を迎え登場人物の一途な感情が狂気に変化した時の相貌は凄絶です。しかし同時に美しさも感じられるのは、人物の純粋な感情を細やかに掬い上げようとする描き手の意識を映し出しているからだと言えましょう。
大正12(1923)年の関東大震災を境に社会構造は大きく変化しました。都市では女性の働く場所が増え、洋装の男女が娯楽や自由恋愛を楽しみました。他方、急激な社会の変化は人々に精神的な疲弊をもたらしたことも事実です。彼らが日常に刺激を求めたことで、探偵・怪奇小説が支持され、エロティック、猟奇的でグロテスクなものを扱った出版物が大ブームとなりました。これらに見られる図像は、モダンで退廃的な雰囲気に満ちています。